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MONOSASHI file03

Ryoma Iizuka

​誰といるか何をするか​

MONOSASHI file03は、HI合同会社インターンの飯塚遼馬さん。HI合同会社でインターンリーダーを務める飯塚さんが、これまでの人生の中でどんな物差しに出会い、成長する中でどんなモノサシを大切にするようになって行ったのか、飯塚遼馬さんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。

Q.簡単な自己紹介をお願いします

立命館大学政策科学部1年生の飯塚遼馬です。中高時代は e-sports をテーマにした課題探求の活動をずっとやっていました。一年浪人しているんですけど、浪人の時期も医学部生の学生団体に入ってみたりとか、それ以外でインターンをしてみたりとかいわゆる一般的な勉強じゃない活動をずっと続けてきて、、

去年、晴れて大学に入学してからも、それをずっと継続しているような大学1年生ですね。

Q.MONOSASHIコンセプト「自分だけのMONOSASHIを見つけよう」にちなんでお気に入りの服で来ていただいた飯塚さん。今日のコーデについて教えてください。

トップスは、A4A という結構派手な服が多いブランドのものです。

シンプル目な服装ももちろん好きだけど、結構目立ちたがりな性格なのと、でもあんまり強く主張しすぎたくもなくて。目立ちたいけど、かわいいっていう中間を狙ってた時に行き着いたのがこの服です。

自分が何か表現したり、意見が言いにくいなと思っても、こういう服装とかのおかげで言いやすくなったりとか、伝える勇気をもらったりっていうことがあります。だから、そういう想いを持ってこの服を選んできたという感じですね。

何やってんだ俺、こんな俺が存在していいのかな

Q.これまでの20年間の人生で他人と比べられたり、あるいは自分が周囲と比べたりした時のMONOSASHIにはどんなものがありましたか?

幼稚園や小学校の時はめちゃくちゃ優等生でした。学級委員も部活のキャプテンも生徒会もやっていて。とにかく全部やります、みたいな感じでした。でも自分の意思というよりかは、周りから「いいちゃんしっかりしてるよね」とか言われることが多くて、そういう言葉に流されてる部分はありました。だから、周りの目じゃないけど、優等生であろうと小学生ぐらいまですごい意識していました。あとね、父が怖かった。今はもう全くそんなことなくて、子育てしてて1番成長したんじゃないかと思うくらい本当にいいお父さんなんだけど、当時はもうなんか亭主関白の体現したかのような人で。

だから優等生になっていたのは、周りと父親の目線と「しっかりしたやつでいろよ」みたいなものが、ちょっとずつ優等生みたいなところに変わって行ったような気もするかもしれないですね。

 

Q. 優等生というモノサシは飯塚さんにとって重圧でしたか?

 

それが当時は嫌でした。誰かに「しっかりしてるね」とか「大人っぽいね」って言われることは別に全然嫌じゃなかったし、それで頼ってもらえることは、すごい嬉しかったです。だけど良くも悪くも目立つから「お前媚び売ってるよな」ってめっちゃ言われた記憶があります。優等生でいることはいろんな人に大切にしてもらえるし、何かを意図してそれをやってるわけじゃないから、そういう風に言われるのは嫌でしたね。みんなのためにとか思ってやってたのを、なんか点数稼ぎって言われて、、、。なんかちょっとね、それが嫌だった。
 

Q. 初めて自分の意志で選んだことってなんですか?

 

高校1年生の時、eスポーツをテーマに探求活動をすると決めた時です。

実は、当時めっちゃ焦っていて、周りが受験とか、学外の活動とかで実績を残し始めている中で、俺は何もやってなくて、もう成績も落ちる一方でした。何かしらの評価を社会から得ている同級生を見て、ただただ劣等感を抱えて、超ネガティブな感情がありました。何やってんだ俺、こんな俺が存在していいのかみたいな。ジェンダーとか貧困とか環境とかどれもピンとこなくて、そんな中途半端に辞めちゃう可能性があるぐらいだったら自分の好きなこととかやりたい事でいいよなぁと思ったんです。そこで、当時はとにかく早く帰ってゲームすることしか考えてなかったから、ゲームをテーマにしました。ただ好きだったから、上手くいくかとか、ゲームにどんな課題があるのかとかじゃなくて、とにかくゲームでやりたいからひとまずテーマだけはゲームにしよう、という理由だけでした。もうその頃には、興味なくなったら周りも何も言わないから優等生であろうがなかろうが関係ないくらい周りも自分も成長してた時に、このまま優等生でいても自分が窮屈なだけだなと思いました。だからもう、ゲームしよう笑
 

Q. 初めて自分で選んでどうでした?

 

これがね、めちゃくちゃうまくいったんです。好きだから続くんだよね。本当によくないけど、いろんな授業とか勉強とかそっちにのけで没頭できるくらいの熱量があったから、とにかくその業界の人とかその最前線で頑張ってる人たちにとにかく会いに行きまくってインタビューしました。そしたら色々問題点とか課題点とかが見えてきて、じゃあその問題解決しようっていうのもパッと見えて。あとはそれの解決のためにトライアンドエラーを積み重ねていきました。高校では、探究のプログラムでたった1年の活動でファイナリストまでいけました。すごい劣等感があったからこそ、先生達が褒めてくれたり、賞をとったりして、自分もやったんだぞ、みんなと同じところに立ったんだぞ、という社会的に見た評価を得たことへの嬉しさもありました。それから、本当にすごい探求やってるなって尊敬してる同級生が「お前がいたから頑張れた」という言葉をくれてすごく嬉しかった。それが、成功したと言える理由なのかなと思います。この感覚は「認められた」にすごく近いのかもしれないです。自分の存在を認識して、自分の行動やいろんなものを肯定してくれました。認識されただけでも多分ダメだったし、認識をなしにそれをすっ飛ばして肯定されただけでもちょっと腑に落ちないけど。

自分は代替可能なもの・人

Q. 自分で決めるという経験を経て、その後の選択について教えてください。

 

やりたいことや好きなことを体験しようと思っていたのですが、その頃に難病を発症しました。入院して手術して受験できなくて浪人することになった時、自分は代替可能なもの・人だなってめっちゃ思いました。自分が入院するってことは、自分が今まで所属してたコミュニティから自分は消えるって事。でもそのコミュニティーって、信じられないぐらいいつも通り回るわけです。学校もそうだし、インターンもそうだし、他の学生団体とか、下手すれば家族でもそうかもしれない。変化はあるけど、みんなうまく適応していくわけよ。そしたら、あれ自分いる?ってめっちゃ思いました。大体可能もしくは、別になくてもいいっていう。だから何をするかは重要じゃないと思ったんだよね。大事なのは自分が何をしたいか。あと誰とするかがすごい大事だなと思っていて。結局仕事とかだって誰がやったとしても、ほぼ変わらないわけで。もちろん変わることもあるけど、それってどういう思いとか、気持ちをそこに乗せるかっていうことで。俺は代替可能なものだからこそ、そこに自分の何かを乗せてってあげないときついなと言うか、モチベーションを保つのが難しいなと思った。だから何をしたいかで、なんでそれをするのかって言うのがすごい大事だなと思ったし、それと同時に誰とするかも大事だなと。自分を待ってくれたり、自分を必要としてくれたり。この人とやりたいなと思ったりとか、そういう「誰と」っていうのもすごい大事だなっていうのは感じました。いろんなインターンや学生団体などで活動した中で、自分が熱量高くいれる物の共通点を考えた時、自分が好きな人とやってることが多いなっていうことに気が付きました。一つの特定の出来事っていうよりかは、長く続いたものとかの共通点を見た時に「あ!俺この人が好きだったな」ということが多いことを発見して、自分はそれをすごい大事にしてるんだなと気づきました。

 

Q. 飯塚さんを認めてあげるための評価軸ってなんですか?

 

好きな人とできているかです。

何をしたいか、なぜするのかもめっちゃ大事だと思うんだけど、個人としては、それよりも本当にこいつと一緒にやりたいなって思えば、何でもいいと思っています。ゴミ拾いだろうか、靴磨きだろうが、規模の大きなプロジェクトでも、本当に何でも良くて。自分の好きな人とやれてるのであれば、マジで何やっててもいい。ただ歩いてるだけでもただ横にいるだけでも良くて、とにかく俺が一方的に好きな人たちといられればいい。

俺が、ラブコールを送りそれが実ると一緒にできる感じ。そういう意味でいうとやっぱり好きな人と一緒にいれているかと、事あるごとに自分に対して聞いてあげたいなと思います。今まで振り返って、好きな人といれている時は自分が心地よかったりとか、前に進めたりっていうことが多いから。

MONOSASHI編集長・HI合同会社インターン / 松井瞳

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