top of page
スクリーンショット 2023-01-26 0.25.51.png
image4_edited.png

MONOSASHI file07

Soichiro Miura's MONOSASHI

​本物か。

MONOSASHI file07は、一般社団法人HASSYADAIsocial共同代表理事の三浦宗一郎さん。3月には2022年の法改正によって成年年齢が引き下げられ、18歳で”大人”になる若者たちに向けたイベント「CHOOSE YOUR LIFE FES “#18歳の成人式」を実施するなど、常に新しいことに挑戦し続ける三浦さん。これまでの人生でどんなモノサシに触れ、今何を考えているのか、三浦宗一郎さんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。

 

Q. 一番古い記憶で、他人から測られた経験はありますか?

 

自分自身、他者からの物差しによって苦しめられた経験はあまりないです。「俺は俺」って思いながら育つことができたと思っています。思い返すと、母親のコミュニケーションがすごかったんだろうなと。勉強はそんなに得意ではなかったし、運動もすごくできたわけではないけれど、「自分には他人に誇れる何かがある」と思いながら生きてこれたことは、すごくありがたいことだったなと思います。

 

Q. お母さんとのコミュニケーションがよかったんですね。それは、どんなコミュニケーションでしたか?

 

「to be」は提示されなかったけれど、「not to do」は明確に提示された。親父が怒ると本当に怖い。よく子供がゲームをやりすぎると、親が一時的にゲーム機を取り上げることがあると思います。でも、親父はゲーム機をぶん投げるんですよ。壊すスタイル(笑)。それを見て、「あ、この人ほんまに壊すんや」って。でもその

行為には、駄目なものは駄目っていう一貫性があるから、すごく納得感がありました。母親に関しては、家計も大変な中で、自分たちのために頑張ってくれてる母親の背中を見てきたので、母親を悲しませたくないという「not to do」があった。それさえ守ることができれば、他はどうなっても基本的にはOKだと思っていました。

 

Q. これだけはやってはいけない「not to do」。これ以上はもう行かないっていう線引きが、100%できてる状態ってことですね。

 

「これだけはするな」みたいな最低ラインは親から引かれたけれど、最高ラインはなかったから、最低ラインさえ守ればよかった。今、仕事でいろんな若者と話していると、最高ラインを提示されていることがある。それってしんどくないですか?あんたは自由でいいよって言ってるくせに、絶対よくないと思ってるやんこの選択、みたいなのがある。その空気感が全くないというのはとても良かった。だから、自分のモノサシについて悩んだことはあまりなかったです。

 

今、いろんな高校生とかと関わりながら、自分が育ってきた環境は経済的にはしんどかったけど、精神的、環境的には意外と良かったと、ようやく感じるようになってきた。

自分が思ってること、自分が感じてることを、できるだけ純度高く、そのまま表現していく

 

Q. これまで三浦さんの人生を大きく変えるような選択が多くあったと思いますが、その時に一貫した思いはありましたか?

 

よこしまな気持ちがないこと。自分が思ってることとやってることが一致してるってのがすごく大事。それは絶対相手に伝わるから。昨年の「CHOOSE YOUR LIFE FES '23 #18歳の成人式(詳細はこちらからご覧いただけます)」も、そこを試される瞬間が何度もあって。これを僕らチーム内では、「グーかどうか」って呼んでいました。グーっていうのは、その選択をちゃんと握りしめられているかってことです。これすごい面白くて。じゃんけんはグーチョキパーで勝敗が決まります。例えば、相手がパー出して、自分がグー出すじゃないすか。そしたら、じゃんけんのルール上では相手のパーが勝ちますね。でも、勝ったはずのパーが負けたと思うグーがあるんすよ。勝ってんだけど、勝った方が悔しいと思わせるほどのグーがある。つまり、勝者が憧れる敗者がいるってことです。その敗者がなぜ憧れるかって言ったら、まっすぐやってるから。俺はそのグーを出し続けたい。もっと現実的な具体例を挙げると、めちゃめちゃお金になりそうな事業っていっぱいある。でもそれって多分、自分にとってグーじゃない。自分がたくさんお金を稼いだとしても、本気で何かをやってるやつを見たときに、「かっけえなこいつ」って憧れるはず。だからこのグーは、負けても勝ちだし、結構勝てる。勝てる確信は明確に持ってるわけじゃないけど、どこかで信じてる。自分自身が半端な気持ちじゃなくて、本当にそうだと思って行動すれば、ちゃんと届く。人生の節目だけじゃなくて、学校に講演に行く瞬間とかもそう。自分が思ってること、自分が感じてることを、できるだけ純度高く、そのまま表現していくことがすげえ大事だと思います。

Q. 幼少期に、最低ラインはあるけど最高ラインは決められてないという話がありました。三浦さんの今のエピソードは、限界が決められていないからこそ、空までいっちゃってるみたいな。(笑)

 

確かに。ずっと面白いことをしたい。楽しい方がいいじゃん。そんだけ。1回やったことはもう楽しくなくなっちゃうから、どうしたらもっと楽しくできるんだろうってずっと考えてます。やっぱ楽しいって本気で思ってたら、その周りにいる人も楽しくなっていく。さっき自分がハッピーでいることっていうモノサシを言ってくれたけど、やっぱりずっと楽しいっていうのが大事。

 

人生の楽しさは広げていく楽しさもあるんだけど、今はまだ伏せているカードを開けていく楽しさもあるというか、気づいていく楽しさもある。一回開いたけど、また閉じちゃうカードもあるわけで。それは大事な人への感謝の気持ちとして、もっとカードを開き直すっていう行為は、すげえ大事なんだろうなっていう気がするな。

何やっても楽しいんだよ。きっと楽しめる。

 

Q. 楽しいっていうのがキーワードでしたが、三浦さんにとっての楽しいとは?

楽しいとは何かかもしんないけど、楽しくすんのが楽しいかも。つまり、どうやったら楽しくなるかを考えるのが楽しい。以前、工場で働いていた時はそれが大きかった。工場での仕事って、欠かせない仕事だけどすごく地味。自分である必要性みたいなものは本当に大きくないから、やりがいを見出すのは難しくてつまんなかった。周りのみんなも同じようなテンションなんだよね。でも、正社員として働きはじめて少したったころ、3ヶ月間だけ働きにくる期間従業員の人がいた。その中にとあるおっちゃんがいて、もうえげつないくらいハッピーなのよ。ハッピーおっちゃん登場みたいなね(笑)その人はずっと沖縄で公務員やってたんだけど、居酒屋をやりたいっていう夢ができて、公務員を辞めた。そこで、お金を貯めるために働きに来てたおっちゃんだった。俺はね、そのときの自分は人生が全然楽しくなかったから、楽しいことがしたいと思っていた。だから、世界を旅したいと思ってたし。でも、そのハッピーおっちゃんが現れた瞬間に、「俺×この仕事=楽しくない」っていう俺の方程式が崩壊したわけ。仕事が楽しくないのは、「この仕事=楽しくない」だからだと思っていた。でも、この方程式には自分という変数があるということに気がついたんだよね。この変数の中に俺じゃなくておっちゃんを入れてみたら、「おっちゃん×この仕事=楽しい」ってことになるわけだ。今はこの仕事が楽しくないから、楽しいことをしようって思っちゃうんだけど、実はこのつまらないという感情を作ってる中には、自分もいる。だから、自分を変えることができれば、楽しくないという答えを変えられる。仕事が変わらなくても。だから、楽しいってどういうことかっていうと、楽しさは作れるんだと思う。これがまじ最強ポイント。人間の。工夫できる、自分で。
 

Q. 楽しくない方程式の理由に自分がいるって、考えたことがなかったです。

 

能動的に楽しむという自分がいなければ、ずっと何かを消費し続けることになる。だから、何やっても楽しいんだよ。きっと楽しめる。それこそ、会社を21歳で辞めて、辞めた翌日から飛行機に乗って香港に行った。そこで、バックパッカーを7ヶ月間くらいしてたんだけど、友達の結婚式があるから途中で帰ってきたんだよ。結婚式が終わった後の自分のカレンダーを見たら、マジ予定ないわけ。俺のカレンダーには祝日の予定しか入ってないの。びっくりして。暇やんって。なんかめっちゃ不思議な気持ちだった。これまでは何してたんだろうと思って思い返したら、俺たちってずっと時間割のある人生生きてたんだよね。小学校のときから、誰かが決めた時間割が毎日あってくれたんだよ。それをこなしていく。その中で生きていけばよかったんだけど、そのときの俺の人生、マジ空っぽだった。本来は自分の時間というものがあるんだって思った。これまでは誰かが決めた時間みたいなものを自分で選んできたけど、本当は人生はめちゃくちゃ暇ってことに気がついた。この人生、自分で時間割を決める。どこでどう生きていくか自分で選べる。ということを、祝日しか書いてないカレンダーを見て思った。そもそも自分の人生は空っぽで、その空っぽのところに、自分で選んだものを載せていく。載っけたものを楽しくしたいと思う。

  さっきのグーの話も同じで、負けは本物じゃない証明にはならないってこと。かっこいい敗者なんていっぱいいると思う。本物の反対はきっと偽物じゃん。ちょっと言葉遊びかもしれないけれど、似せているものの可能性もある。偽物は「偽りのもの」ではなくても、「似せたもの」である可能性もある。誰かが自分の人生生きられてないとしたら、それはもしかしたら、その人は誰かの似せ物になろうとしてるかもしれない。自分という人間が感じるもの、考えること。それをちゃんと見て考えて、行動する。

MONOSASHI編集長・HI合同会社インターン / 松井瞳

bottom of page