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MONOSASHI file01

Ibun Hirahara

直感と感謝

MONOSASHI fileの記念すべき一人目は、HI合同会社代表の平原依文さん。HI合同会社の代表を務める平原さんが、何を大切にし行動し続けるのか、過去の出来事をヒントに平原依文さんだけのMONOSASHIについて語ってもらいました。

Q.簡単な自己紹介をお願いします

HI合同会社の代表を務めています、平原依文です。私は「社会の境界線を溶かす」を軸に様々な活動をしています。もともとこの「溶かす」というように思い始めたのも、小学校の時から様々な国に行き、多くの経験をさせていただいて、そこからもっと社会の境界線が溶けていけば、人はもっと自分らしくお互いのことを尊重できるような社会が実現できると思ったからで、この思いを胸に日々活動しています! 

Q.MONOSASHIコンセプト「自分だけのMONOSASHIを見つけよう」にちなんでお気に入りの服で来ていただいた平原さん。今日のファッションについて教えてください。

今日はオレンジのTシャツで来ました。私は、オレンジが幼い時から好きなんです。夏がとても好きというのもありますし、ポップな色で、見ると人が元気になる色なのでオレンジを選んで着てきました。

「どうやったら普通になれるのだろう」と模索した幼少期

 

Q.これまでの人生で他人と比べられたり、あるいは自分が周囲と比べたりした時のMONOSASHIにはどんなものがありましたか?

幼い時に、自分の家族と他の家族を比べることが多くありました。家族みんな血が繋がっている、これが普通の家族だと思っていました。でも自分は、血の繋がっているお母さんと血の繋がってないお父さんと一緒に住んでいて、周りから普通じゃないと言われて、どうやったら普通になれるのだろうと思っていました。この血縁関係はもう戻せないものなので、むしゃくしゃしてしまって苦しんだ時もあって。家族が普通じゃないと言われたから、両親に授業参観には来ないでって言ったり、お父さんのことも「パパ」ではなく、「博一さん」と呼んで、あえて他人ということを強調したり、普通になるために自分の意見を言ったりすることもやめました。自分の意見を言うと、「あの子は特別な家の子だから」と毎回言われるので、気づいたら納得いかないことに対しても頷いてたんです。周りから普通に見られるために、とにかく周りに合わせたり、目立たないようにしていました。

でも、カナダに行った時のホストファザーとホストマザーは、お互い再婚同士でお互いの子供たちも一緒に住んでいました。私は「周りから何か言われないの?」と聞きましたが、彼らは「全然ない」と言っているのが印象に残っていて。「自分たちが選んだ道だから。それが私たちのファミリーだから。」とまっすぐに言ってくれました。私はそれを聞いて、家族の形はそれぞれで良いのだと、自分たちがこの家族で本当に良かったと思えば、それは周りと比べるものではないということを身に染みて感じました。

Q.もし世の中にあるMONOSASHIが全て無くなって、他人から何も言われなくなったら、どのような基準で行動したり、決断したりしますか?

やることの一つ一つに関して自分に嘘をつかない選択をします。例えば、何かお誘いを受けた時に、自分が本当に行きたいと思ったらそこに行く。行きたくないなと少しでも思ったら行かない。食べたいものに関しても、本当に食べたいものを食べる。その時の自分の直感を信じるという基準を持ちたいと思っています。自分の経験や感情の積み重ねがあり、その上の直感だからこそ、それに対して素直でいる。自分の中にある喜怒哀楽に対して素直で、その時に決めていくようなスタンスでいたいと思います。

 「あなたがあなたらしくずっとこのままの笑顔でいてくれたら

 パパ、ハッピーだ」

Q.直感や自分の喜怒哀楽に素直になることを大事だと思ったきっかけなどはありますか?

 

お父さんと交わした言葉です。お父さんが病気になり、8ヶ月間ずっと看病をする中で、お父さんの「やりたいことリスト100」を作りました。それは、全部身近なことで、正直いつでもできるようなことでした。例えば、大戸屋の定食が食べたい、万年筆を依文と一緒に磨きたい、亡くなったおばあちゃんとの子供の時の写真が見たいとか。リストを見て、「パパ、これいつでもできるじゃん」と言ったこともありました。でも、結局、リストをコンプリートできなくて。お父さんに「最期に何かやり残したことはない?」と聞いても、やはりママのご飯が食べたい、近所で散歩したい、家族で過ごしたい、といったことばかりで。お父さんに亡くなる直前に「どのような娘でいてほしい?」と聞くと、「あなたがあなたらしくずっとこのままの笑顔でいてくれたらパパ、ハッピーだ」と言ってくれました。その時、「あ、親って本当にそれだけを望んでいるんだな」ということに気付かされました。だから、自分の直感を信じようと思うようになりました。

私が後悔したことは、傍にいたかったということと、お父さんのリストをコンプリートしたかったということでした。看病しながらも自分はちょうど大学を卒業したばかりで、お父さんがやりたいと言っていたことにきちんと向き合えていませんでした。その時の時間はその時しかないのに、後回しにしてしまったんです。それを今でも後悔しています。 お父さんとのこの経験を通じて学んだことは、その一瞬一瞬起きていることや、やりたいと思うことをその時にきちんとやる、信じるということです。人間は元気な時は自分のことよりも、目の前のやらければいけないことを優先してしまい、誰かに判断されることばかり見てしまいます。でも、本当に大切な瞬間は戻ってこない。改めていつ死んでもいいように過ごしたいなと思っています。この経験が、今の自分の直感を信じる、直感を判断軸にするということに繋がっていると思います。

私にとって心が動く瞬間は、まず目の前にいる人が元気でいること。

健やかでいること。

Q.自分の直感を信じることは怖くないですか?ブレたりすることはないですか?

「怖くない」と断言できるくらい怖くないです。私が一番怖いものは身近な人の死です。さっきまで話していたのに、急に心臓がピーって止まって、体が温かいのに心臓が動いていない。これ以上怖いことは本当にないということを感じて、それが自分の中の判断軸にもなっているし恐れにもつながっていない理由です。なので私は、お父さんやお母さんや周りのこれまで育ててくれた人たちに感謝できるような、恩返しできるような人間になりたいです。

また、父が亡くなったことをきっかけに、ありがとうは後回ししないで言える時に言うようにしています。近い存在であれば近いほど、やってくれることが当たり前、言わなくてもいいや!となってしまうのではなく、伝えられる時にとにかく伝える。

感謝という言葉の由来は、「物事に接して、深く心が動いたことに対して、言葉を射る=発する」ことなんです。私にとって心が動く瞬間は、まず目の前にいる人が元気でいること。健やかでいること。生きていることに感謝をしたい。だって、そうじゃなかったら出会えなかったから。その上で、些細なことに対しても気づけたり、見返りを求めずに目の前にいるもの・こと・ひとに対して一生懸命な人にはエネルギーをもらうことができるし、学ぶことが多いです。例えば、コロナ前の渋谷の半蔵門線の通勤ラッシュで長蛇に並ぶ人々に対して嫌そうな顔をして誘導するのではなく、「おはようございます!今日も頑張りましょう!」「ラッシュを乗り越えて、いい一日にしましょう!」と満面な笑顔で言っている駅員さんの姿を見て心底感動して。その人にその時持っていた便箋セットに想いを綴り、ありがとうのお手紙を渡したこともありました。その人なりの、ちょっとした気遣いが実は誰かのためになってるなあと、改めて感じた瞬間でした

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Ibun Hirahara’s MONOSASHI

感的に本当にしたいのか、今素直になっているかというのは一つの判断軸です。もう一つは、その直感で今まで関わってくれた人たちが様々な経験や示唆をくれたからこそあるものだと思っているのでその一つ一つの自分の行動がきちんとその感謝を示せているのかということが自分の中のMONOSASHIです

MONOSASHI編集長・HI合同会社インターン / 松井瞳

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