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​MONOSASHI file06

MONOSASHI file10

Shinsuke Sakimoto’s MONOSASHI

可能性に
フォーカスする

 

MONOSASHI file10は、嵜本晋輔さん。元プロサッカー選手で、現在はバリュエンスホールディングス株式会社の代表を務める嵜本さんが、どのような生きる軸を持ってこれまでの人生の選択をしてきたのか。嵜本晋輔さんだけのMONOSASHIについて教えてもらいました。

Q.MONOSASHIコンセプトは「自分だけのモノサシを見つけよう」ですが、嵜本さんだけのモノサシについて教えてください。

僕のモノサシは、世の中で正しいとされている確実なものではなくて、「可能性にフォーカスする」というあり方を体現してるっていうのがあります。

誰もがこれまでの体験や経験に基づいて、自分の正しさというものを決め、自分にとって確実に正しいものを選んでいくと思うんです。それは過去の積み上げによる選択なので、否定はしないけれど、得られるものが少ないと思っています。

過去の体験や経験に基づいた確実なものより、自分が考えたこともない、自分の正しさの真逆にあるようなものを意図的に選択するということが、結局自身の可能性を広げる。それによって、自分が信じてたものではない世界が、手に入ると思っています。

だから、確実性と可能性という二つの選択肢があるときに、僕は可能性を選ぶということが僕のモノサシとしてあります。

 

一人一人の可能性の解放、一人一人の自分を取り戻す

 

今日の取材前にモノサシっていう言葉を簡単に調べてきました。僕がこのモノサシ自体をどう解釈するかというと、その人の価値観、生き方、あり方みたいなものだと思っています。僕の好きな言葉でいうと「みんな違ってみんないい」。昔の詩人が作ったこの言葉が、まさに私たちの会社のミッションである「大切なことにフォーカスして生きる人を増やす」に、非常に近しい部分があると思います。これまでの正しさっていうのは、先生や両親といった、たくさんの影響力のある人たちが、様々な正しさを押し付けてきた。押し付けるつもりはなかったかもしれないし、その人たちは良かれと思って言ってたことが、幼少期の私たちにとっては非常に影響力のある言葉だった。だから、本来の大切にしたいことを、隠さないといけないというか、押し殺さないといけない状況になっていて。みんなと同じものを考え、同じものを持つことで、コミュニティの中で生きることを許されるような社会になっていると思います。自分が自分の人生を生きてるようで、実は他人の人生を生きてしまっている人とか、本人は無意識なので気づいてないんですけど、僕から見たらかわいそうで。その人たちは数年後、自分が正気に戻ったときに初めて、自分が登りたい山と違う山に登っていたことに気付くんじゃないかと思います。だから全社員が、本当にやりたいことに手を伸ばせるようにしたい。そういった意味では、「みんな違ってみんないい」っていうあり方を、私自身がまず体現した上で、全社員にそれが波及していくようなことをしないといけない。僕がこの会社でやるべきこととか、僕の興味関心があることは、一人一人の可能性の解放、一人一人の自分を取り戻すっていうことを、どのようなアプローチによって実現できるか。またそれを組織の中でどう仕組み化するかということを考えています。

 

Q. 嵜本さんのモノサシの捉え方がすごく素敵です。ご自身だけじゃなくて、なぜ他者の可能性を解放するのでしょうか?

 

僕が10代、20代の頃に今こうしてインタビュー受けている自分の姿を描けていたかというと全く描けていなくて。元プロサッカー選手の中で、上場企業の社長って日本で1人、僕だけなんです。上場企業の社長が偉いわけではないですが、なぜ僕が成長し続けられたかというと、自分の可能性を一番信じたから。自分に可能性があると信じ続けたから、自分の可能性が広がっていったと思っています。多くのアスリートは「サッカーしかしてこなかったから」とよく言います。その枕詞が、とてつもなく自身の可能性に制限を与えてる言葉になるんですね。でも、幼少期に何か一つのことにどハマりできる能力って素晴らしいと思うんですよ。だって、ほとんどの人が自分が人生をかけて夢中になれるものを見つけられないから。僕は、「サッカーしかしてこなかったから」ではなく、「幼少期からサッカーっていう夢中になれることを見つけることができた」って、自分の可能性にフォーカスして生きることができた。だから今こうして、本当にありえなかった世界を自分で切り開くことができたんだと思っています。

でも、自分に可能性があるって信じていない人が多いのが現状です。僕は月に1回、新入社員に対して理念浸透研修を実施していて、そのときに「自分自身に可能性があると信じてる人は手をあげてくれ」って質問するんです。でもやっぱり、みんな悩むんですよ。僕のデータによると、1秒以内に手を挙げたら、普段から自分に可能性があると信じている人が多いと僕は思っています。でも、1秒以内に手を挙げられない人って、自分に可能性があると信じていない。自分の可能性は自分が決めるものではなくて、与えられた環境で決められるものだっていうような解釈でいる。その時点で、成長する可能性はとても低いわけですよ。自分の固定概念とか、社会や影響力のある人の正しさという制約に縛られてきてしまってるから。だから、まずその制約に縛られてることに気づくことが必要で、そこに気付けたのなら、意識を可能性に向けることが必要だと思います。自身を決め付けている制限というモノサシしかないかもしれないので、そのモノサシは再定義させる。つまり、自分の人生が豊かになるように、「大切なことにフォーカスする」ことが、結果的に自分自身のモノサシを再定義することに繋がってくるかなと思います。

かむために、手放せ

 

Q. 自分だけでなく他者に対しても可能性を信じているのですね。それは、幼少期の選択にも何か影響があるんでしょうか。

 

実は幼少期、一番最初に始めた習い事は水泳だったんです。水泳をやって、体操をやって、その後にサッカーと出会いました。なんで僕がサッカーにどハマりできたかというと、それまでに比較対象を作っていたんですよ。確実な生き方だったとしたら、手を伸ばすことすらなかったかもしれません。でも、水泳や体操をやってみて、続けようか迷っていたときに、所属していた体操クラブがサッカーチームを作ることになったんです。その瞬間、母親に「僕、サッカーやりたい」ってリクエストをして、自分がやりたいことに手を伸ばしました。だから、自分の可能性が広がったんだと思います。

社会人になってよく聞くのが、「何をやりたいかわからない」って言う人です。そう言う人は、「具体的にどのような行動を起こしましたか?」っていう質問にはほぼ答えられないんです。結局アクションを起こしてないんですよ。例えば、試着も一緒です。自分が似合うものを、これだと決めつけてしまっている。「俺は黒色しか似合わない」とか、「私は青色しか似合わない」っていうこの固定概念や自分の中での正しさっていうものが制限になってる。固定概念を手放すというか、「つかむために、手放せ」という言葉は、僕のちょっとした行動指針でもあります。新しい自分に出会いたいのであれば、今の自分を積極的に手放しに行く。両手がふさがっていたら、目の前にあるチャンスをつかめないですよね。だから、自分がずっと抱きかかえているような、しがみついているような状況というのは、可能性を絶対に受け取れないから、「つかむために手放す」というのが、僕のもう一つの軸でもあります。

 

Q. 幼少期から自分のやりたいことを掴みに行く姿が印象的です。ここまで嵜本さんが可能性を信じるようになったのには、社会のモノサシやその確実性にとらわれた経験が過去にあったのでしょうか。

 

もちろんありますよ。上場した時に、これまで自分がある意味100%オーナーで、やりたいようにやれたことが制限されるようになりました。上場後1年ほど、ちょっと自分を見失ってた時期があったんです。期待に応えるという言葉はあまり好きじゃないけど、自分の人生を生きているようで、言うならば投資家の人生を生きていているような心地がしていました。投資家がこう言うから、こうした方が私たちが評価されるんだみたいな。その時に自分の軸ではなく、他人の軸で生かされていたっていうことに気づいたんですよ。上場を選択したのは自分ですが、その状況に飛び込んで初めてわかったことがありました。なんか自分らしくない。なんか楽しくない。誰のために仕事してるんだ。僕は時価総額や利益のためだけではなくて、自分の可能性を広げることや、自分の人生が豊かになるために仕事をしているので、僕にとっては真逆なんです。僕も翻弄された時期もあるし、100%自分を取り戻せるかというとそうではないかもしれない。ただ上場企業の代表という立場でありながら、自分の人生を生きることに決めてからは、本当に自分でやりたいことをやれて生きている。だから何のストレスや不安もないし、今は成長しても成長しなくてもいいという立場を持っているんです。

 

成長しないときがあってもいいじゃないか

 

Q. 上場時にそのような葛藤があったとは驚きです。嵜本さんにとって、成長してもしなくてもいい状況が豊かな状態の定義なんでしょうか?

 

そうですね。本心で成長したいのか、それとも他者に翻弄されて成長したいと思ってるのかをちゃんと切り分けた方が良いと思います。僕は成長したいとは思っている一方で、成長しないときがあってもいいじゃないかとも思っています。その選択肢を持っているか持っていないかということと、それが本心であるか本心でないかが重要です。自分が本当に絞り出して成長したいと思っていたら良いと思うんですよ。でも、多くの人は成長したいというより、成長しないといけないと思っている。しかし、自分がこうだっていう自信や確信がないから、どうすれば成長できるかもわからないし、成長させられているので、それは不安になりますよね。自分の人生に介入されてるだけであって、他人に成功しろと言われているときに、何したらいいかわからないっていう状態。

つまり、世の中に翻弄されて、他人に自分をコントロールされている可能性があるということです。「本当に成長したいの?」って聞かれたら成長したいって信じ込んでる自分がいるかもしれないですよね。でもそれって無意識じゃないですか。だから、僕もとても意識して、自分と毎日のように向き合って、成長しても成長しなくてもいいっていう考え方ができるようになりました。だって、1、2年しゃがんだ方がもっとジャンプできる可能性もあるわけだから。

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自身の可能性を、これまで以上に開放していけるように、存在するっていうあり方の部分を、自分のモノサシとしては置いていきたい。自分だけじゃなくて、ご縁がある周りの人たちの「モノサシ」という価値観や可能性みたいなものも解放していきたいです。そうして一人一人のモノサシがアップデートされるっていうことが、僕自身の幸せや豊かさにも繋がってくると思うので、それを大切にして生きていきたいなと思いますね。

MONOSASHI編集長・HI合同会社インターン / 松井瞳

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